鰹節の旅。土佐藩から薩摩藩へ
山川港の山吉國澤百馬商店

日本食文化で大きな役割を果たす『かつお節』。

かつお節の前身とも言える「堅魚(カタウオ)」が古事記に登場するほど、深い歴史を持つ食品です。

現代に近い製造法となったのは江戸時代。

紀州で確立されたことから大 阪や京都の食に影響を与え、大流行しました。

その後、かつお節を藩の貿易品にしようと考えた土佐によって、薪を使う焙乾法やカビを利用するなど、
長距離の輸送にも耐えられるよう改良。

土佐節として江戸でも知られるようになります。

土佐節の技術はそれから薩摩藩に伝わり、現在はかつお節生産量で国内シェア70%超え。

消費地域としても日本トップクラスです。 実は、山吉國澤百馬商店も土佐生まれ。

昭和22年(1947年)、國澤百馬が高知県に開いたかつお節工場が原点です。

より良い原料を求め、昭和26年(1951年)に指宿市(旧山川町)へ移転。新たな地で製造をスタートさせました。

以来、土佐仕込みの伝統的な製法を大切にしながら、かつお節の中のかつお節と言われる“本枯節”にこだわり製造を行なっています。

焙乾方式の薪に火をつけている様子。

あっという間に煙が充満し、3階上まで煙が行き渡ります。
乾燥具合を調べながら位置を替え、全ての節を高い品質で仕上がるようにしています。


古事記の時代では天日乾燥のみだったようです。。


古事記の時代では天日乾燥のみだったようです。
現代の山吉國澤百馬商店は焙乾方式と天日干しを工程によって使い分け、乾燥させる、香りをつける工程をしっかりとって本枯節を作っています。

本枯節は素材の状態がわかるように皮目を残しています


本枯節は素材の状態がわかるように皮目を残しています。
皮のシワが多いと脂肪分が多かったカツオ、シワが少ないと脂肪分も少なかったカツオを使っています。
脂肪分が少ない方が良いとされていますが、好みが分かれるのでぜひどちらも試してみてくださいね。

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